年中行事の概要

語意説明

(ここに無い場合は、メニューの久高島関係神事祭祀用語集を確認願います。 追加編集中です。西銘政秀

 

 久高島の神事・祭祀は、全て太陰暦(旧暦)で行われます。

 ヘーナガーキとは、正月(古くは8月の夏正月も)の早朝神々に諸々の願いを込めた祝詞をお送りする事。

 アラジャクとは、新酌の意で16歳になった年の初めての酌取りで、皆んなの祝福を受けおめでたい日である。

 ピーとは、火の事。

※ マブッチとは、供物の事。マブッチ組、地割組、ヤドゥイの村落祭祀に於ける供物の供出単位。

 マティーとは、祭りの意である。

 とは、十干の9番目。水の兄(え)の意味という。デジタル大辞泉。

 ソージとは、禊をする事。

 ハンジャナシーとは、ハンは神でジャナシーは敬称語である。神様を最高に敬っている。

 ウプヌシガナシーとは、ウプヌシは大主でガナシーはジャナシーと同語で敬称語である。

 キシクマーイとは、キシクは魚のアイゴでマーイは廻るの意で有り、アイゴ捕獲の為探し廻る行事である。

 シーグとは、害虫払いで、沖縄本島辺りでは「シヌグ」と呼ばれている。シーグ↔シヌグ。

 

祭祀名

祭日(旧暦)

目的(実施の目的等、その他)

ショウグヮティ

(正月)

11

一年中の健康祈願が中心

🔹かつては、外間御殿で早朝から外間ノロを中心に年の初めに際し一年中の諸々の願いを込めた「ヘーナガーキ」と言う祝詞を神に捧げたと言う。今では外間ノロ不在の為行われていないが祝詞記録が残っている。

当日は、島出身の人々の里帰りや観光客の来島で賑わい、早朝からの神人の祈りから始まり、午前10時頃から「酌取り=酌願い」と称して、16歳〜70歳迄の男達が1年中の健康を祈って貰う儀式である。

🔹「アラジャク=新酌」と呼ばれる16歳(今でいえば成人)になる子供達の酌取りの場合は親戚や知人の人々が揃って祝福し、共にカチャシーを踊る姿は微笑ましい限りである。特に他府県から留学している子供達も島の子同様に参加し感動ものである。尚、都合により3日目まで参加出来ない者は当日2回分の酌取りを済ます。この儀式は23時間で終える。

🔹ヤーミグルー(家廻り)。外間御殿が終わると銘銘気のあったもの同士がグループになり仲間の自宅を訪問しその家の繁栄や家人の健康を参加者が祈願、逆に家人は訪問者の健康祈願をし、全員でカチャシーを踊りながらひと時を過ごし、次の宅へ訪問し同様の行いをするのである。酔いが回った頃各人はバラバラに帰宅する。

12

🔹ファティウクシー(初起こし)は各職場に於ける仕事の繁盛を祈願する行事であり、久高島の場合は海人が多い為漁港での酒盛り=カチャシーがあり、島人も観光客も入り乱れて共に楽しんでいる。多くは前日のヤーミグルーの延長の参加者であり2日連続の飲酒の席となり酔いつぶれる者も少なくない。いずれにしてもお互いの精進祈願であり、観光客も含めた多くが参加した楽しいひと時である。

13

🔹初日と同じように、酌取りの締めの儀式である。仕事の関係で3が日参加出来なかった男達は初日で3日目の分まで終えた。今日も初日同様午前10時頃から酌取りが始まり、初日に比べて参加者が少ない為、カチャシーを踊りながら1時間程度で行事は終えた。最終日であり寂しい思いはある。また、来年

ピーマティー

1月吉日

火の祭り、御願立て1月のミンニー(御願立て)と12月のミ ンニー(御願結び)がある。

 

 ソージマティー

1月中旬壬

麦の初穂祭。マブッチ(供物を供出して行われる)マティー、正月マティーとも言う。麦の初穂祭である。

王朝の頃は2月であったがいつから1月になったか不明である。

これが2月から1月に変わったのかもしれない。

王朝時代は久高島行幸の一部

さいかいもくよく【斎戒沐浴】 (名)スル

神仏に祈ったり神聖な仕事に従事するのに先立ち、飲食や行動を慎み、水を浴びて心身を清めること。

ヒータチ フィータチ

12月壬

 大漁祈願。ハビャーンにて行われる大漁祈願の祭り。海に向かって右手の突端のイーンパナ(外間ノロ)、真ん中の突端(久高ノロ)、左手突端(根願)の管轄として祈る。三方拝

 ウプヌシガナシー

2月中旬壬

イシキ浜

立入禁止

健康祈願、航海安全。この祭りは「久高島行幸」だったでしょう。ウグヮンダティ(御願立て)である。

「ウファティアギ」御初上げの意と思われる。と言う事は、麦の初穂を今年初めて捧げる事だったと思われる。従って今のソージマティーも2月だった事が伺える。

三月綱

33

漁労の訓練13歳〜15歳までの男達)。

竜宮マティー

33

タマ鎮め。ユランマ浜に於ける遭難者家族。

海で遭難し、死体があがらない場合は、永久にニラーハナーに行けず、海にさまようとされている。こうした霊は常に供養しておかないと子々孫々迄良からぬ運命にさらされるという。海人である久高の人にとっては重要な御願(うぐゎん)である。

3月マティー

 

 

 

ウファテイアギ

3月中旬壬

 

 

 

 

マテイイーの後の壬の良き日

麦の収穫祭。ウブンマティーとも言われ、終始神人に対するふるまいが伴っていると言い、1月の初穂儀礼が男の祭りであったのに対し、3月の収穫儀礼は女の祭り(女の出産の意だと考えられている)だと言われる。

 

ウフアテイアギ(御初上げ)として百名詣でをする。ミントン、本部、両久高ガー、受水走水、祝女殿内、玉城グスク遥拝御願有り。

 浜シーグ

329

本島辺りでは、シヌグと言う。詳しい起源はわかっていないが、何かの意味をもって教えられてきたもので、琉球の古歌にも多くシヌグがみられることから発祥は古いものだとみられている。

行事の内容は村により異なるが、害虫や害獣を駆除する祓いの要素が見られる。旧暦7月の亥の日に行う土地が多いが、6月や8月に催される場所もある。沖縄県国頭郡国頭村安田(あだ)のシヌグは1978年(昭和53年)522日に国の重要無形民俗文化財に指定されている。アブシバレーも同義かも?

久高島浜浜シーグ:午前中に御嶽マーイ、午後4時頃からユランマヌ浜での虫流し。バナナの茎で作った害虫流しの舟。(令和3年)

ハンジャナシー

(ニラーハナ―の来訪神の総称)

4月中旬壬

ニラーハナ―から来訪して、島を払い清め、正人の健康祈願。

当日は、ハカイメー、アカヤミョーブの準備、ハンジャナシーを行う祈願、ハサキ―ンバイの準備、この時、ウッチグヮーで両ソールイ、村頭がウアンネー(ご案内)の儀式がある。その後外間ノロでの祈りがあり、その後フボー御嶽へ行き再度、ニラーハナーへ行き明朝のウアンネー(ご案内)を祈願する。

々癸 立禁

朝からハサキ―ンバイづくり、ウプティブラー(天頭神、太陽神、月神の三大神)と32の諸々の神の分のウカライ(お飾り)をつくり、その後ノロやソールイガナシーノ等々の神人が外間御殿で祈願、その後島建てのウッチ小での祈願、その後外間御殿に戻り一通り行事の後フボー御嶽へ行き、ンチャメーヌフェーで明朝来訪するニラーハナーの神々のウアンネー(ご案内)と言う。「ニライ大主はニラーハナーに居られて下さい。」この日より北側3日間の立入禁止。

々甲 立禁

早朝から、アガリウプヌシを中心に「ホーイ、ホーイ」の掛け声でフボー御嶽へ向かい、フボー御嶽でティルル等による祈りがあり、その後再度ホーイホーイの掛け声で外間御殿へ向かう途中、ボーンキャーでヤジク達が迎えたと言う。

々乙 立禁

 

 ソージマティー

5月中旬壬

粟の初穂祭5月マティー、麦の初穂祭と同じくソージマティー、マブッチマティーとも言う

さいかいもくよく【斎戒沐浴】 (名)スル

神仏に祈ったり神聖な仕事に従事するのに先立ち、飲食や行動を慎み、水を浴びて心身を清めること。

身を清める事

キシクマーイ

61

キシク豊漁祈願

キシクまたはスクと呼ばれ、和名アイゴの稚魚である。この大潮の時期に遥か彼方の方から姿を表す。島では神からの贈り物「ユイムン」として、男達が総出で漁に参加する。6/17/1前後に実施され、「海人」のボーナスと呼ばれる。

6月マティー

6月中旬壬

粟の収穫祭。基本的には、3月マティーと同じ。

以外に、新タムトゥのシマジクマワリ(島軸廻り)が外間御殿南方30メートルの場所(ソーラーグヮー入口前。現在はコンクリート舗装となっている)で行われたと言う。

ミルクグヮティ

616

太陽の祭り.太陽神のンバギ(誕生日)と考えられているが、あまりに大きな神様である事から、表向きは月神の祭りであると言う事にしていると言う、外間ノロと外間根人が合同で、久高ノロは単独で行う。

ウプマーミキ

7月中旬壬

大漁祈願、健康祈願。大真神酒(米で作る真神酒)による大漁祈願と健康祈願。ミンニービューイの日に行う。マーミキグヮーと対をなしていると言う。

七月綱

ウプマーミキ後の壬

漁労の訓練。

ヤーシーグ

729

害虫払い。3月の浜シーグと同じく虫払いで、7月29日に御嶽廻りの後、各家庭で行う。各家庭のシーグと言う意。

ハサキー

89

豊作祈願。ンチャメーヌ拝でフボー御嶽、ウガミグヮーへ参拝し八月マティーが始まる報告の御願➡ニーントゥチウガミ。かくかていではハサキー(ハーサムチ)を作り家人の健康祈願。

八月マティー

各日立禁有注意要

810

 

お祓い、健康祈願。アサマティーの後に、魔よけの為にススキを束ねたシバを玄関や家の四角に差す。シバサシ

ソールイガナシーがンナグナーを連れてソールイマカネーを受ける。外間御殿でマティー。ノロの祝詞あり。ユーマティーもあり、そこで御殿庭に移動し、本来ならビンヌースンヌー。その後グルイ(大島の尚富主踊り八重山のとぅばらーまの歌詞をアレンジしたハヌシャーマ踊り)が始まり、カチャシーへと移る。

811

女の御嶽参り、お祓い。ヨーカビー、八月の中でも特に悪い日だと言われる。女たちのタキマーイで神女の健康祈願があり、また若い女の子供たちのイーチョーハリチョーの踊りが有ったと言う。タキマーイを終えた女たちをボーンキャー根人旗や子供たちのムカデ旗で迎え、カチャーシーも踊られる。

その後、外間御殿でも踊られ、「酒三合」の各戸廻りがある。

その後、夕刻5時頃から前日と同様グルイが始まり、夜遅くまで人々が歌い踊る楽しい時間である。

812

お祓い、夕方4時頃からハンチャタイ(かつてはバンドゥクマ)でテーラーガーミーの儀式が君泊、御殿庭を含めて行われる。この儀式は半年後の2月に王府の久高島行幸があり、これの事前の儀式ではないかと言う。(赤嶺政信氏)

夕刻6時頃からは、ユランの浜で相撲大会が有る。

815

月の祭り、健康祈願。

ハンジャナシー

9月中旬壬

払い清め、健康祈願。

々癸 立禁

 

々甲 立禁

 

々乙 立禁

 

マーミキグヮー

10月中旬壬

大漁祈願。ウユー(お粥)の神酒で、大漁祈願と漁に対する感謝の祭りで、ウプマーミキと対をなしていると言う。

その日の夜にソールイガナシーのイリ―へ―ィ(入替)の儀式が有る。参考:原初のソールイガナシー家はナンダトゥと言う。

アミドゥシ

アミルシ

1113

大漁祈願網を降ろす意味と言う。(正祥氏)。

この行事は、百名から渡って来たシラタルーとファーガナシー兄妹が徳仁ガー一帯に七回宿を替えながら生活したと言う故事にちなんだものである。徳仁からアグル嶽へ。

フバヤク

11月中旬壬

 お祓い、健康祈願。

ムーチー

128

 健康祈願。一般的には12月8日に行われる鬼餅の行事を言う。

ピーマティー

12月吉日

イシキ立禁

 ピーマティーのシディガフー(御願結び)

火の祭りで、火災が無いよう祈る祭り。1月の麦の初穂祭りの前の吉日にウグヮンダティヲヤリ、12月のハマードーエー前の吉日にシリガフーをやる。シリガフーとは、孵る・シリーンの意。

ウプヌシガナシー

12月中旬壬

 竜宮神祭り、海人の健康と安全祈願。2月のウグヮンダティに対して、ウグヮン結びである。

2月にイシキ浜で拾った守り石を返す。

 

アシタマーイ

 

(タティマンヌワカグラー)

壬の日の早朝(12日毎に定期巡回したのでしょうか?)

🔹アシタ(不明、早朝の意かも?)マーイ(廻る)の意。タティマンヌワカグラー神が壬の日の早朝、ハビャーンから島を廻りながら徳仁港まで二頭の白馬に乗り祓い清め、大漁や健康を祈願した。二頭の白馬は久高・外間の両ソールイ神と伝わる。

🔹「アシタ」について(学研全訳古語辞典)に次の様に紹介されているが日本の古語とどう言う関係があるのだろうか?→ 「あした」の意味 朝。朝方。明け方。 徒然草 三一 「雪のおもしろう降りたりしあした」。

🔹実例:ソールイガナシー経験者のメーサキのアカッチュおじーは白馬を見たと証言(嫁の千賀子さんの弁)や副区長の西銘喜一さんのお父さん(喜正おじーソールイガナシー経験者)も見たと生前語ったとの事である。

 

イザイホーは聞得大君に仕える為の儀式の一部であったでしょう。

イザイホーの現状

(久高島の神人は、延期の祈願をしたと言う)

(監督:岡田一男)は、その記録を編集したものである。この作品は、2007年からウェブ公開されている。2021年に、これら全フィルム素材の2048x1556ピクセルスキャンと音源のデジタル化、アーカイブ化、データベース化が5年がかりのプロジェクトとして始まった。このプロジェクトに先立ち、作品中の神歌に現代語訳を付した2020-21年版107分が制作された。

🔹長い間秘祭として部外者への公開を拒んでいたが、外間ノロウメーギであった西銘シズさんの全面協力により、1978年のイザイホーは多くの民俗学者に積極的に紹介され、記録映画が撮影されるなどその姿を後世に残すよう努められた。結果、この祭祀を記録した写真集として『神々の島 沖縄久高島のまつり』(比嘉康雄[写真]谷川健一[文章]平凡社1979年)、『イザイホー 沖縄・久高島』(吉田純[写真]吉本隆明[文章]、ジュン・フォト出版局、1993年、『神々の原郷 久高島』比嘉康雄、第一書房、1993年)等が発刊された。

1966年のイザイホーを記録した映画『イザイホウ 神の島・久高島の祭祀』(監督:野村岳也)が1967年に完成したが、長らく一般公開されなかった[3]201412月に東京で上映したのを皮切りに、大阪や地元である沖縄県で20151 - 2月に上映されることとなった[3]

1978年のイザイホーでは16㎜フィルムカメラと水晶発振によるテープレコーダーでの完全同期撮影が行われ、4台のカメラによる、およそ公開された全ての儀礼の始めから終わりまでがシームレスに記録された。1979年に完成した『沖縄久高島のイザイホー第一部第二部102

 

202011日にNHK総合テレビで放送された、新春!沖縄スペシャル』において、イザイホーの記録映像が紹介された。

 

イザイホー

 

チミナンチュ ナイビタン

(聞得大君に使えるナンチュになりました。)

 

ヌルヤジク

ナイビタン

(ノロに使えるヤジクになりました。)

 

西銘シズ氏への聞取り

 畠山篤著

 

久高島の神女組織

 

 

 

 

 

 

 

1月前から祭場設営準備

 

 

12年毎の午年の11/15~11/18の4日間

 

1日目

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2日目

 

 

 

3日目

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4日目

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

🔹久高島の巫女集団は、久高家と外間(ほかま)家の2つからなり、それぞれ最高職のノロがいる。補佐役には掟神(ウッチュガミ)。さらにその下に61歳から70歳のタムト54歳から60歳までのウンサク42歳から53歳までのヤジク3階級の巫女グループに分かれる。新しく参加する31歳以上の巫女はナンチュと呼ばれる。

🔹実際には、根願等々の神女もいる。男神役として根人が

     いる。

 

🔹イザイ山で神女が山籠りする為の7つ屋づくり、その他七つ

 橋、御殿庭全体の砂撒き等の作業が1ヶ月程度かけて行われ

 る。

 

🔹儀式の観念は、ニルヤカナヤ(ニライカナイと同様の他界概

 念の久高島での呼称)からの来訪神を迎え、新しい神女をその

 神々に認証してもらい、島から去る来訪神を送ると言うもの。 

 

 

🔹夕神遊び1115日)

巫女となる女性ナンチュの加盟儀式。夕刻、祭場の御殿庭(うどんみや)に集まり、ナンチュは神アシャギと呼ばれる拝殿を「エーファイ、エーファイ」と連呼しながら七回旋回する。そのあと拝殿に先輩の巫女とともに神歌(テイルル)を歌い、奥の森(イザイ山)に入る。ナンチュは洗い髪のままで白衣をまとう。巫女たちは髪を巻き白鉢巻に祭礼用の白大衣(ウフジン)を身につける。

拝殿前には七つ橋という橋があり、躓(つまづ)いてはならないタブーがある。ここで躓いたり橋から落ちたりする女性は浮気など何らかの悪いことをしたためにそうなるものとされ、そのような女性は神女にはなれないとされる。

 

🔹 カシラタレ遊び1116日)

ナンチュが昨日のままの洗い髪「髪垂れ」(カシラタレ)で三重の円陣を組み踊る。

 

🔹花差し遊び1117日)

ナンチュは先輩の巫女(ノロ・掟神)に引率され、巻き髪、鉢巻き、ウフジンの巫女の扮装になる。イザイ花と呼ばれる花飾りをつける。テイルル(祝詞・神歌)を唱えながら旋回する。ここで、ナンチュは先輩の巫女と同等になる。

🔹朱づけ遊び

外間根人と呼ばれる巫女の中心外間家の男性主人が巫女、ナンチュの額、両頬に朱印を付ける。その後、ノロがナンチュの額と頬に団子の粉を付け、正式に巫女の証明をする。その後、再び花差し遊びをする。

🔹チミヌナンチュ ナイビタン(聞得大君に使えるナンチュになりました)、ヌルヤジク ナイビタン(ノロに使えるヤジクになりました)と詠われる事は何を意味するか?

 

🔹アリクヤーの綱引き1118日)

巫女全員が男性と綱引きをする。このときニカイカナイからの神の降誕を歌う。巫女は「ホーノー」男たちは「エーファイ」とそれぞれ掛け声を掛け合い、両手で縄をつかみ舟を漕ぐしぐさをする。

🔹御家回い(グキマーイ)

ノロは森の中にいるナンチュを迎えに行き、ナンチュは家に帰る。それぞれの自宅では家族がナンチュを上座に座らせ、祝福する。ここで、ナンチュは頭に緑の葉の冠をかぶり神と同等になった巫女の変身を表す。

🔹桶回い(ウケマーイ)

再び巫女一同集合し桶に入った神酒をいただいて、自然と神を賛美する歌を歌う。優雅な踊りの後、東方に扇を掲げてニライの神を拝礼。神酒をみんなで飲む。ナンチュは葉の冠にクバの葉の扇、先輩の巫女は太陽と鳳凰、月と牡丹を描いた色鮮やかな扇を持つ。それぞれ扇を使っての舞は実に美しい。

そのあとは打ち上げの宴会。カチャーシーとよばれる踊

りとなる。